どの道で生きるかよりも、この道でどう生きるか
前回は選択についての話をしてましたが、今回は僕の例を挙げてみたいと思います。
僕は小学校2年生のとき不登校になりました。それからずるずると中学校も行きませんでした。
昔の自分の認識では「行けなかった」でしたが今は明確に「行かない」を選択してたんだなと思います。
不登校の最初の理由は喘息になり、今まで出来てた事が出来なくなったことです。
朝起きれば発作が出ていて、外の空気を吸えば発作がでて、運動すれば発作が出て、風邪を引けば即入院です。
衝撃的でした。ショックでした。
はじめから無いのならまだしも、当たり前に在るものを奪われる気持ちは奪われた人にしか解らないでしょう。
ずっと頭の中で「なんで俺ばっかり」と思ってました。
高校生になる頃にはこもりがちだった事もあり、体重も増え90キロになってしまいます。
自分にとって欲しくない事が起こりまくる「なんで俺が、、、」の犠牲者人生でした。
どうしようもなかった、仕方なかったということが当時は真実でしたが、本当には「犠牲者で居たかった」んだと思います。
要するに犠牲者人生を送ろうと決断しそこに17歳まで立ち続けた訳です。
「なにかのせい」
にし続け、自分の人生を愛せず、愚痴ばかりが溢れてきます。
その時の顔が
16歳春
!?
こんな感じです。
どんな感じに見えますか?
とてもイキイキしてる様には見えないですね。
その1年後、
17歳春
僕の人生至上最悪の時期がこの時でした。
「誰も俺のことなんて分かってくれない」
を選択し頑張ってそこに立ち続けてたときです。
分かってくれない人生を証明する為の日々でした。
でもこの強烈な劣等感を背負い込んで腐っていた男も18歳で転機を迎えるのです。
自分の人生を切り開く瞬間です。
18歳春
つづく