どんな自分もかけがえのない自分自身
さて、いよいよ独立へと動き始めた訳ですが、
少しそこに至るまでのお話をしようと思います。
30歳なりたてのときに、友達に独立するならと勧められた研修に参加しました。
そこで人間であるとは何か、自分自身と言っている自分とはいったい何処に存在しているのか、真実と認識している真実とはいったい何なのか、
(説明するの難しいので詳しく聞きたい人は直接聞いておくれ。すんごく面白かったです。存在論みたいなもんなんだろうか。なんせ自分の価値観がとてつもなく拡大しました。)
みたいな事を学んだり、たっぷり時間をかけて改めて自分自身を見ていきました。
その時発見したのは過去の自分自身をまだ許してはいなかったということです。
過去の自分自身のことを『あんなふうに在るべきではなかった』と思っていて、未だに許してなかったし後悔や無念さが実はまだあったのです。
あのときこうしていれば、あのときの自分がもしこうだったら何てことを心の片隅にまだ置いていた自分にびっくりしました。
(あのときこうしていればシリーズははっきり言って時間の無駄でした。だっていくら思い返したところで何もかわりゃしなかったから。後悔する事が何か現実にインパクトを与えてくれるかどうか、それは無いと僕は言います。)
だって過去の自分は完全に克服し、超えたと思ってましたから。
でもね、実は見たくない部分にフタをしていて分離していただけだったんです。(臭いものにはフタみたいな感じ)
それが今の自分にも影響していて、弱い部分やかっこ悪い部分を隠して決して人には見られないようにしていたり、人の弱い部分を見たらそれを許せなかったりしていたのです。
知らず知らずの内に人との間に壁が出来てしまうのはそのせいでした。(壁は相手側にあると思い込んでましたが、壁は自分が創っていただけでした)
そして僕がそう生きれば生きるほど、周りの人たちを窮屈にしていた事にも気付きました。(決して自分の弱さは見せずに強がる、逆に人の弱い部分は責める人と一緒にいたらそりゃあ疲れますよね)
気付きとは本当に自分にとって宝物です。
この時を境に(と言っても過言ではない)劇的に自分が変化していきました。
初めて過去の自分自身を置いてけぼりにせずに抱き締めてあげれました。
ああするしかなかったんだよね。それでも頑張って来たんだねって。
どんな自分も認めること(即ち人も認めること)
人を自分の価値観(モノサシ)で測らない(人それぞれの見ている世界があって、それぞれが素晴らしくていいんだ。それを否定しなくてもいい。)
なんだか肩の力が抜けて、安堵感に包まれました。
全て在ってよかったんだ
過去の全て(喘息になったこと、学校に行かなかったこと、悔しかったこと、思い通りにいかなかったこと)
が何一つ欠けてもいけない
必要だったから僕の人生に在るんだ。
全部大切なんだ。
この自分で在る為に必要だったと思えたとき涙が出ました。
これからは
駄目な自分を補う為の努力では無く
今でも充分素晴らしい。そしてより自分を発展させる為に努力するんだ。
へとシフトしました。
そしたら自然と
独立しように立てました。
でも次は、店を出そうと決めたその瞬間にいかに自分が独立に関しての知識を知らないかを思い知りました。
あ、俺漠然といつか店出す!って言ってただけでほんとには行動してなかったんだと初めて気付いた瞬間です。(いつか何かをやろうとか、いつか成し遂げようと思っている人、このパターン多いです。)
決めて行動しないと、何も現実にインパクトは与えられないのです。
さぁ、いよいよRICCA編です今度こそw
つづく