与えられないなら自分から掴みにいくしかない
スタイリストデビューした初月のお客の数は良く覚えています。
2人でした。
自分がデビューするまで関わってきたモデルさん(アシスタント時代にカット、カラー、パーマ、トリートメントモデルさんをどれだけ多く抱えているかでスタイリストデビューしたときの売上は変わってきます。いわゆる未来のお客様な訳です。)は確か90人近くいました。
なんでこーへんの!?なんで2人!?
と落ち込みました。
正規の料金だとこんな感じなんだと、自分の未熟さを思い知りました。
でもスタイリストになって初めて正規の料金でお金をいただく重さを知れました。
このお金でこの人は何が出来ただろうか、好きなアーティストのライブにも行けるだろうし、本もいっぱい買えるし、ご飯だったら相当美味しいもの食べれるよなぁとか。
モノじゃなくて自分の技術に払ってもらうんだから、ほんとに真剣にやって感動してもわらないと!って一層強く思えるようになりました。
ここから月の売上10万までがほんとに遠かった、。
サロンはマンションの一室で外からは全く見えません。
広告も出してないし、通りすがりも来ない。
新規来店客なんて来たら奇跡的でした。
つまりここで結果を出すには、自分から動くしかないって事です。
諦めずに何か出来ないか試しまくりました。
夜は遊びに行って友達作って、
サロンが休みの日も初回半額で営業したり。
毎月30万円売り上げれるようになるまで1年かかりました。
そこからSNSを使って集客したり、お客様から紹介をして頂いたりとしてるうちに更に結果が出て来たんです。
次の転機は、師匠が独立するときです。
自分でも意外だったのが、師匠が居なくなったら辞めたい!ってなるだろうと思っていたのが、思わなかったことです。
次は自分の力でより一層サロンを盛り上げよう!
そんな気持ちでした。
自分で結果を出して、自信を付けて試したいと思える位になるとは!成長したな〜俺w
この時期に学んだのは自分でやんなきゃ、誰かのせいにしながら死んじゃうぞ!ってことです。
腐る前にできることを頭フル回転させて足掻かないとね。
そして師匠が辞め、自分達で面接をして2名のアシスタントが入社してきます。
さぁ代官山編の第二幕のはじまりはじまり。
つづく
多分27歳くらい。後ろ髪なが〜
あ、因みに嫁とはこの代官山のテクニコというサロンで同期として出逢いました。
第一印象はほんとに最悪で、なんだこのビッチは!ってな感じで、僕は相手にしてませんでした。てか無視してましたね〜。
ほんっと僕性格悪いw
このエピソードはまたリクエストがあればお話しようと思います。^ ^