分かり合えない人なんていない!!!
実際にはそんなの分からないし、本当に分かり合えない人だっているかもしれません。
でもそれって実はあまり僕にとっては重要ではなくて。
結果や真実がどうかよりも、
自分をどこに立たせ続けるか
が重要だと考えます。
人とは分かり合えない!!
(分かり合える人もいるけど分かり合えない人もいるも含みます)
に立って生きている人と
分かり合えない人なんていない!!
に立って生きている人。
どちらが出来ることが多いと思いますか?
どちらの人生を生きたいですか?
前者で生きている人、以外と沢山居ます。いや、ほとんどの人が当たり前にそうかもしれません。
みんな、それぞれが自分の中でジャッジしてるのです。
自分の価値観や常識や当たり前というモノサシで測ってみて、
(実は常識や当たり前に落とし穴があるかもしれません。自分の中でそう思っていても、人によって常識や当たり前って変わるのです。常識や当たり前さえも疑う必要があると僕は考えます)
これは正解!
これは間違い!
そしてあまりにも間違いだらけの人とは分かり合えないと決める。
これはまさに僕のやってきた生き方です。
20代の僕は人に対して尊敬が無さ過ぎました。
自分と価値観の違う人を馬鹿にしたり、あいつは間違ってると決めつけたりして、ときには責めたりしていました。
僕の場合は、自分の弱さがそうさせていたのは明確です。
そうやって比較して優位に立って、自分の正しさを振りかざすしかなかったのです。
どの生き方、価値観が正しいなんてないのに、何故か自分こそが正しい、もしくは正しさを知っているってなっちゃうんですよね。もはやこれはクセになっちゃってますw
結局はどう生きたいかと行動が一貫しているのです。
以前の僕は分かり合える人だけと一緒に生きていければいいと思っていました。
だからそれと一貫した生き方をしていました。
今はこれだけ人が沢山居るのだから、その人の見ている世界を一緒に見てみたいと思っています。
自分が魅力を感じる経営者とはそういう人です。
人を生かすとはそこから始まると思っています。
だから今はそれと一貫した生き方をしています。
(とは言ってもいつものクセは出てきちゃうもので、その都度直面して軌道修正しています)
生きてりゃ人と人の摩擦からは逃れられません。
価値観が違うと、
ものの見方
考え方
聞き方
正しさ
全て違うんですよね。
そりゃ大変ですよね。
だからこそ違ってていいんですけどね。それが個性だし。
最近RICCAではだんだん人と人が起こす問題も、分かり合えるチャンスだ!にシフトしてきています。
生きがいのある人生ってなんだろうっていつも考えちゃいますが、
RICCAとしては、
諦め無し!
何が可能かに立ち続ける!
分かり合えない人なんていない!
をみんなで絶賛練習中であります!!
いま完全に出来なきゃいけないなんてことはない。
失敗したらまたそこに立ち続けりゃいいんです!!
きっとそうやってたら人生がいきいきしてくるはず!!
今日も一日そこに自分を立たせて生きてみます!